ニュージーランドの暮らしと子育て、日々のメモ

30代後半から、2人の子どもと夫婦の4人家族で海外移住しました。現在はニュージーランドのオークランドに住んでいます。

そもそも、どうして海外に?

よく聞かれるのが、そもそもどうして海外に住んでいるの?ということです。

きっかけは長女を病気で亡くしたことです。先天性の心疾患があり、生まれて1ヶ月も経たずに亡くなってしまいました。それをきっかけにトラウマ、そして鬱になり、夜も眠れずに泣いてばかりいました。何も楽しくなく、何もしたくなく、ただ早く死にたいと思うだけの日々が続きました。次男を授かり、少し気持ちが前向きになってきたところに東日本大震災が起こりました。

 

地震津波放射能。子どもに何かあったら、と思うと長女を亡くした時のことがまざまざと思い出され、あんな気持ちを二度と味わいたくないと強く思いました。最初は放射能が不安で、家族でロサンゼルスに3ヶ月行きました。でも、ロスの自由で明るい雰囲気を味わい、海外に住むという選択肢を考え始めました。

 

放射能の問題を抜きにしても、少子高齢化、行き過ぎた競争社会、詰め込み教育、国際競争力の低下など、これから次の世代を生きる子どもたちを日本でだけ育てていいのかという疑問が膨らんできました。子どもたちの時代には英語でコミュニケーションができることはもちろん、異なる文化の人とうまく付き合うことが重要になってくるのではないかと考えました。日本にこだわらず、自分で住みたい場所を選べる人間になってほしい。最終的にはそう考え、多文化社会で子どもを育てたいと思うようになりました。

 

これまで海外に住んだことはおろか、留学経験すらない私たち夫婦には海外移住なんて雲の上の話でした。それでも、大学時代、副専攻という制度を使って一生懸命英語を勉強していた甲斐があって、IELTS6.0をとることができ、追い風となりました。子どもを失うことへの恐怖、そして自分ができないのに子どもに「将来は海外に住むのもいいかもね」なんて言うわけにはいかない、自分がチャレンジしてみなければという気持ちが原動力となりました。

 

まず先進国の中では比較的永住権が取りやすいとされるニュージーランドを目指し、移住説明会にも行きましたが、遠すぎて日本になかなか帰れないことや金銭的な問題から、これまで海外に住んだことのない私たちには荷が重いと判断しました。

 

物価が安く暮らしやすいとされる東南アジア、特にマレーシアを候補にあげる私と、東南アジアは嫌だという夫との間でなかなか決まりませんでした。ある日、海外に暮らしたいと私たちから聞いていた実母から「世界ふしぎ発見でマレーシア移住のことやっているよ」と電話がありました。早速見てみると、思ったよりも都会で暮らしやすく、夫も一気に乗り気になりました。

 

そして早速就職活動を開始。無事、Skype面接で内定をいただき、2013年、仕事も決まった状態でマレーシアのサイバージャヤへ引っ越しました。初めての海外でしたが、周りの人に助けていただき、不思議とそれほど苦労はしませんでした。

 

マレーシアは初めて家族で移住した思い出の場所。友達も思い出もたくさんあり、大好きな国です。それでも私たちはそこを離れる決心をしました。その話はまた後ほど。