ニュージーランドの暮らしと子育て、日々のメモ

30代後半から、2人の子どもと夫婦の4人家族で海外移住しました。現在はニュージーランドのオークランドに住んでいます。

海外の小学校事情、マレーシア

長男は日本、マレーシア、ニュージーランドと3か国の小学校を体験しました。

現在は日本では小学校6年生なのですが、ニュージーランドでは日本の中学校に相当するIntermediateの1年生になっています。

 

マレーシアでは私たちが住んでいたCyberjayaから車で15分くらいのところにあった、Rafflesia International SchoolのYear3に入学しました。ここは新設校で学費も比較的安く、校舎や設備が整っていたのが魅力でした。

Rafflesia International School – Traditional Value, Global Vision

 

長男なりに英語を勉強して、それなりに自信を持って臨んだ登校初日、先生や友達の言っていることがわからず、うつむいて黙ってしまった長男を見て、わたしたちは青ざめました。でも担任の先生に呼ばれ、言われたことは、「わかることにはうなずいたりして返事をしているから心配ない、教育は学校でするものだから、家ではリラックスして過ごせるようにしてください」というものでした。てっきり、家でももっと英語を勉強しなさいと言われると思っていた私はびっくりしました。それからしばらく、HRの時間に長男が一言ずつ簡単な日本語を教える時間を作ってくれました。長男は英語は話せないけど、みんなが知らない日本語を知っている、すごい、と言うことを伝えてくれたそうです。まだ小さかったので、そのうち友達と追いかけっこをして遊ぶようになり、すぐに溶け込んでいきました。

 

Rafflesiaのいいところは、子どもが自分自身で発見することを促す教育方針だったことです。例えば、歴史を習う前にグループに分かれてファッションショーをしました。長男はギリシャ時代の服を作ってくるように言われ、IKEAに行って安いティータオルを買って作りました。ファッションショーでそれぞれ担当した時代の服を見せ合い、どのような特徴があるかを話し合い、それから歴史の学習に入っていくという授業をしていたそうです。歴史や算数など独立した教科を学ぶのではなく、つながっているのも特徴でした。ピラミッドの高さを計算するなど、算数の要素がさりげなく組み込まれていたようです。

 

マレーシアにも児童労働や貧困などの社会問題があります。Year3という年齢で、すでにそういうことも学習していました。偉人について調べて、全校生徒の前で歌や踊り、クイズをして発表したこともあります。みんな堂々としていて、本当に感心しました。

 

年に数回、学習内容についての説明と懇談があり、みんな熱心にメモを取って聞いたり、学級懇談では先生に「グーグルでは創造性を伸ばすためにこのような教育が行われれているが、それについてどう考えるか」という質問が出され、熱の入った会話が繰り広げられていました。また、3者懇談では、先生が長男の様子を説明しながら時々長男に問題を出して親の前で答えさせ、何ができて何ができていないかを明らかにしていました。

 

コンピューターを利用したICT教育が盛んなのも日本との大きな違いでした。セミのライフサイクルについてインターネットで調べ、画像も貼り付けてGoogle Documentでまとめてくるようにという宿題が出たときは親子で必死でした。もっと学年が上がったら、とてもじゃないけどフォローできないなと感じていました。

 

他に、学校生活では、各自ICタグを持っていて、教室のドアの前にあるリーダーにかざして入るので、他のクラスには入れないようになっていました。ランチは自分の好きなものを指差してスタッフに入れてもらうカフェテリア形式でした。ICカードにお金を入れておき、ジュースやスナックも買うことができたのですが、うちはお金をほとんど入れませんでした。マレーシアではムスリムやヒンディーなど、宗教上、特定の食べ物を食べられない子どもが多いため、自分で食べるものを選ぶ形式が合理的でした。小さいうちから「みんないっしょでなければならない」という考えを押し付けず、それぞれの違いを尊重するところで育つことは、とても意味があるのではないでしょうか。そういう意味では、ヒジャブをかぶっているなどの見た目や、食生活など、違いがあることが当たり前という環境で育てるマレーシアは多文化社会での付き合い方、生き方を学ぶにはもってこいの場所であるように思います。

 

本当はニュージーランドの学校生活についても書こうと思ったのですが、思いがけずマレーシアの学校についてたくさん書いてしまいました。なお、マレーシアの情報については3年近く前のことになります。ニュージーランドもそうですが、日本のように統一された教科書がない分、管理職や担任が変わると教育内容がガラッと変わってしまうことがありますので、マレーシアのインターナショナルスクールに興味のある方は必ずご自分で最新情報をご確認ください。

 

 

海外暮らしの子どもの教育は?

全く英語が話せない、習わせていたわけでもない6歳と、日本語もおぼつかない2歳を連れて海外に出たとき、やはり一番気になったのは子どもの教育でした。

すぐに永住権が取れるわけではない不安定な身分なので、日本に帰ることも想定して日本語教育はしっかりやっています。海外でがんばる決意はしていますが、私たち夫婦のどちらかが病気になったりして日本に帰らざるを得ない状況になるかもしれないと考えています。

 

詰め込み教育には批判的だったはずが、日本を離れて勉強についていけなくなったらという不安からか、振り返ってみると結構長男にはしっかり勉強させていた自分にびっくりしました。長男は好奇心が強く、どちらかといえば勉強が好きなので、面白そうな教材を用意しておけば、それほど嫌がらずにやります。でも、市販のワークブックやダウンロードできるものは、いつも合うとは限らないので、だいたい教材を私が作ることが多いです。そんなに大したことはできないですが、ちょっと絵を描いておくだけでも、「今日はプリントにどんな絵が描いてあるかな」と楽しみにしてくれていたようです。

 

とはいえ、マレーシアに行ってすぐは長男は英語と算数の勉強を中心にしていました。英語は市販の楽しそうなワークブックを買って、アルファベットから教えました。子どもたちが親しみやすいように、寝る前に本を読む代わりにYouTubeで英語の歌を聞いていました。今でもそのとき聴いた歌のことはよく覚えているようです。
Super Simple Songs というチャンネルが好きでした。

youtu.be

 

今でも一緒に寝転んでいるときによくroll overと歌いながら押してきたりします。
それから、英検Jr.オンライン版も利用しました。

英検 Jr.「オンライン版」がスタート! | 英検 Jr. | 公益財団法人 日本英語検定協会

これは説明が日本語なので、放っておいても子ども一人でできたので便利でした。クイズの後のゲーム目当てでしたが、ブロンズ級、シルバー級などクリアすることで自信がついたと思います。ニュースレターにも体験談を応募して載せてもらったのは、良い思い出です。

マレーシアには英会話教室は少なかったのですが、近くでやっていたフォニックスの教室に3ヶ月ほど通いました。私も小学生のとき、学習塾でフォニックスを勉強していて、とてもわかりやすかったので長男にも勧めました。これで一気に理解が進んだように思います。

 

インターナショナルスクールの入学試験に無事合格し、年齢相当のYear3に入学しました。それからは日本語と英語、算数を毎日勉強しました。このころの教材作りが一番大変でした。

 

途中から海外では珍しい日本語教材があるというKL、モントキアラ(日本人が多い地域で有名)の公文まで1時間かけて月1回通ったり、タブレット学習を試したり、ニュージーランドに来てからは補習校に通ったりしました。子どもの成長は早いので最初、面白いと思ってもすぐ合わなくなったり、反抗期がはじまって「お母さんに教えてもらうのが嫌」となってしまったり、本当にそのときそのとき、臨機応変にやっていくしかないなあと思い知らされています。

 

それでも、いろいろなリソースを活用し、いろいろな人に手伝ってもらったおかげで長男は年齢相当の漢字が読め、読書大好きな小学6年生に育っています。読みは多少遅れていますが、海外暮らしなのでそのくらいは目をつぶりたいと思っています。

 

意外に重要だったのが算数の勉強です。そもそも最初から、英語では絶対に他の子と差が出るので、自尊心を保つために算数を得意にしておいたらいいのではと考えて、もともと長男が好きだった算数をしっかり学習しました。この作戦は成功し、ニュージーランドでも算数が得意だよね、よくできるよねと言われて嬉しいようです。

 

長男にばかりフォーカスしてしまいますが、現在7歳(小学2年生)の次男は、あまり本が好きでないため、漢字の学習が遅れています。兄弟でも全然違うので、またこの人の日本語学習には長男以上に手を焼きそうですが、これからもがんばっていきます。

 

 

マレーシアからニュージーランドへ移動した理由

楽しかったマレーシア生活を2年で終了し、ニュージーランドに移動することにしました。その理由は以下の3つでした。

永住権を取りたい、環境のいいところに住みたい、収支の改善

 

マレーシアでは永住権を取るためのプロセスが明確になっておらず、コネがものをいう世界。子どもを連れ、毎年更新のワークビザが頼りでは心もとなく、やはり永住できる資格を取って安心したいという気持ちが強くなりました。

 

環境については、マレーシアは時期により、インドネシア焼畑農業の煙が流れてくる「ヘイズ」という問題がありました。ひどい時には視界も白くなり、焦げ臭い匂いが漂います。喘息様気管支炎の息子たちには良い環境ではありませんでした。また、治安もあまりよくなく、普段、がっしりした夫と一緒に歩いているときは安心できるのですが、子どもだけで外出できるのは大学生以降にした方がいいとの現地の友人のアドバイスに正直、気が遠くなりました。思春期を乗り越えられる気がしませんでした。

 

そしてお金の問題。マレーシアの現地採用の給料はそれなりでした。物価が安いので、独身なら毎日外食したり、時々東南アジア各国を旅行しても十分貯金できるほどです。しかし、インターナショナルスクールが意外と高いのです。長男が通っていた学校は設備も先生も内容も素晴らしく、何の不満もなかったのですが、年齢が上がるにつれ学費が上がります。安価なローカルの英語教育をしてくれる保育園(デイケア)に次男が通っている間は問題なく暮らせていたけれど、二人がインターナショナルスクールに行くと生活が苦しくなってしまうという現状がありました。

 

そこで、いろいろな可能性を考えてみました。日本に帰ることも考えましたし、フィリピンやタイも見に行きました。以前検討したニュージーランドについても調べてみました。そうすると、私がPostgraduate(日本でいう大学Bachelorと大学院Masterの間の学位)、Level8の学校に通えば、夫にWork visaが発行され、子どもを夫の付帯にすれば子どもの学費がローカル料金になることがわかりました。ローカル料金とは年5万円程度の寄付金のみでほぼ無料ということです。ニュージーランドでは高い家賃や生活費がかかるが子どもの学費は無料。マレーシアでは家賃や生活費は安いが、子どもの学費が高い。両者を検討した結果、それほど支出に差がなかったので、思い切ってニュージーランドにチャレンジすることにしました。

 

マレーシアで海外生活に慣れたこと、そして何より、ニュージーランドがダメならマレーシアに戻ってこればいいやと思えたことが、ニュージーランドに挑戦することができた一番の要因だったと思います。

 

実際にニュージーランドに来てみると、思ったよりも家賃と物価が高く、すごいスピードで貯金が減っていきました。それでも、チャレンジしなかったよりもして良かったなあと感じています。マレーシアを経てニュージーランドに来たことで、私たちも子どもたちも世界や視野が広がったと感じています。子どもたちの中にも、「日本人だけど他の国に住む」という選択肢が根付いてきたと思います。5年間の海外生活で貯金はかなり減りましたが、日本ではお金をいくら払ってもできない経験ができ、得られないスキルを身につけられたと思っています。チャレンジと努力のし通しで若干疲れてきた気がしますが、それでもやっぱり子どものため、自分たちのためにもう少し努力を続けます。

 

追記:マレーシア生活についての質問をいただきましたので、当時書いていたブログのURLを載せておきます。
「子連れ海外移住!家族で来たぞ、マレーシア!」

malaysiainfo.blog.so-net.ne.jp

 

そもそも、どうして海外に?

よく聞かれるのが、そもそもどうして海外に住んでいるの?ということです。

きっかけは長女を病気で亡くしたことです。先天性の心疾患があり、生まれて1ヶ月も経たずに亡くなってしまいました。それをきっかけにトラウマ、そして鬱になり、夜も眠れずに泣いてばかりいました。何も楽しくなく、何もしたくなく、ただ早く死にたいと思うだけの日々が続きました。次男を授かり、少し気持ちが前向きになってきたところに東日本大震災が起こりました。

 

地震津波放射能。子どもに何かあったら、と思うと長女を亡くした時のことがまざまざと思い出され、あんな気持ちを二度と味わいたくないと強く思いました。最初は放射能が不安で、家族でロサンゼルスに3ヶ月行きました。でも、ロスの自由で明るい雰囲気を味わい、海外に住むという選択肢を考え始めました。

 

放射能の問題を抜きにしても、少子高齢化、行き過ぎた競争社会、詰め込み教育、国際競争力の低下など、これから次の世代を生きる子どもたちを日本でだけ育てていいのかという疑問が膨らんできました。子どもたちの時代には英語でコミュニケーションができることはもちろん、異なる文化の人とうまく付き合うことが重要になってくるのではないかと考えました。日本にこだわらず、自分で住みたい場所を選べる人間になってほしい。最終的にはそう考え、多文化社会で子どもを育てたいと思うようになりました。

 

これまで海外に住んだことはおろか、留学経験すらない私たち夫婦には海外移住なんて雲の上の話でした。それでも、大学時代、副専攻という制度を使って一生懸命英語を勉強していた甲斐があって、IELTS6.0をとることができ、追い風となりました。子どもを失うことへの恐怖、そして自分ができないのに子どもに「将来は海外に住むのもいいかもね」なんて言うわけにはいかない、自分がチャレンジしてみなければという気持ちが原動力となりました。

 

まず先進国の中では比較的永住権が取りやすいとされるニュージーランドを目指し、移住説明会にも行きましたが、遠すぎて日本になかなか帰れないことや金銭的な問題から、これまで海外に住んだことのない私たちには荷が重いと判断しました。

 

物価が安く暮らしやすいとされる東南アジア、特にマレーシアを候補にあげる私と、東南アジアは嫌だという夫との間でなかなか決まりませんでした。ある日、海外に暮らしたいと私たちから聞いていた実母から「世界ふしぎ発見でマレーシア移住のことやっているよ」と電話がありました。早速見てみると、思ったよりも都会で暮らしやすく、夫も一気に乗り気になりました。

 

そして早速就職活動を開始。無事、Skype面接で内定をいただき、2013年、仕事も決まった状態でマレーシアのサイバージャヤへ引っ越しました。初めての海外でしたが、周りの人に助けていただき、不思議とそれほど苦労はしませんでした。

 

マレーシアは初めて家族で移住した思い出の場所。友達も思い出もたくさんあり、大好きな国です。それでも私たちはそこを離れる決心をしました。その話はまた後ほど。

 

ニュージーランドからこんばんは。

3週間の日本一時帰国を終えて、ニュージーランドに帰ってきたばかりです。

英語のコミュニケーションにまだまだ困っている身としては、すべて日本語で通じるなんて、なんて便利なのー!と日本で感動していました。

それでもやっぱり、やったことのないことがしたくて、まだ知らないことが知りたくて、まだ会ったことのない人に会いたくて、ニュージーランドに住んでいきます。

 

日本でいろいろな人と話して、海外に住んでみたいけど知り合いもいないし、とか、自分にはできなさそうとよく言われました。私たち家族も、私も夫も留学経験や、ワーキングホリデー経験など、海外に長く住んだり、英語を使って生活した経験はありませんでした。知り合いも全然いませんでした。でもきっと、私たちはちょっと向こう見ずで、ちょっと好奇心が人より強いのかもしれません。「なにそれ、おもしろそう!」と思ったら行ってしまう性質があります。

 

最初は知り合いがいなくても、今ではたくさんの知り合いができたオークランドニュージーランド。海外に住んで、家族に起きた変化などを書き留めていきたいと思います。